桑子:それから、途中から話し合いに参加するのも大歓迎、という風にしておきます。そうしておかないと一部の人たちだけの議論になってしまいますから。あるいは、途中参加の人から、すでに議論した内容についての質問がでたりします。すると、「どうどうめぐり」になったり、「振り出しにもどる」といったりすることが起きますからね。途中から参加した人でも内容についていけるように、これまでどういう話し合いがされてきたかを示すための資料を、壁に貼り出しておきます。
これによって、ムダな議論の繰り返しも防ぐことができます。途中から参加して、話し合いが後戻りするような質問をした人に対しては「その問題については、今までずいぶん議論しました。その経緯はそこにありますのでご覧くださいね」というふうに、説明します。これが、合意形成のプロセスの設計であり、運営であり、進行方法、というわけです。そのほかにさまざまな工夫を行います。こうすることによって、誰でも参加でき、発言の機会を持てる場を保ち、しかもお互いに安全な気持ちで議論できるようなルールをしっかり定める。
「先生、私○○苦手なんです。○○はできないんです。」 という生徒に、
「ふーん、じゃぁ、○○は人一倍努力しなくちゃね。」 と応えると、
「え!?」 って表情されることが多い。
子どもたちの
「○○は苦手。○○はできない。」
という言葉には、
「○○苦手なのは不変の事実であり、改善しようのないことだから、そんな『そのままのわたし』を認めてくださいね。」
という甘えが隠されていることが、往々にしてある。
開高健の言葉を思い出す。
「一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。」
tumblrは何なんだろう.ブログだとかソーシャルブックマークだとか,今ある言葉で説明しようとすると違和感がある.きっとtumblrはtumblrなんだ.
tumblrを作れなかったクリエイターはいっぱいいると思う.例えばボクが,tumblrの開発に関わっていたとしたら「Friendの Friendを見えるようにしよう」とか,「それぞれのポストをタグで分類できるようにしよう」とか,「コメントを付けられるようにしよう」「トラックバックを打てるようにしよう」とか言い出して,いかにもWebのことをよく知っていますよ的な態度でtumblrをtumblrじゃない既存の概念に落としてしまっていたんじゃないかと思う.これを考えると怖くなる.そうしてできあがったものは,ブログなのかソーシャルブックマークなのかSNSなのかは知らないけれど,とにかく「見たことがあるもの」なんだろう.
エンジニアは楽に実装できてしまうものは,ついつい実装しちゃうんだろうな.これは気をつけなきゃいけない.「引き算の美学」って言葉が凄まじくカッコイイ言葉だってことは分かっていても,体現するのは難しい.これは自分を戒めるエントリだ.
「ブログは面倒臭いけれど,twitter は気楽に使えて好き」という人,「ソーシャルブックマークはよく分からないけれど,tumblr は楽しい」という人.そんな人たちがボクのまわりに現れだしてハッとする.ボクはこれまで手間を惜しまずに色んなWebアプリケーションを使っていたけれど,面倒じゃなかっただろうか.「Webを素晴らしいものにする」なんて気持ちは,個人の「ただ楽しく使いたい」という気持ちに比べたら小さいものなのかもしれない.
これを機に考えてみよう.今,頻繁に利用しているWebアプリケーションの中で,実は面倒な手順を踏んでいるようなもの.みんなで協力して使えば確かに全体としては賢くなるけれども,自分用だと割り切って使えばもっと気軽に楽しく使えるもの.その辺りに楽しい発見がありそうだ.「はてなスター」も既存の概念で説明が付かないところとか,可能性を感じさせてくれる.
しかしtumblrの「Reblog」だけは本当に設計思想が分からないなあ.なんでそんなものを考え付いたんだ.すごいぜtumblr!ボクが今,最も楽しく利用しているサービスがtumblrです.